
会社概況
お客様のお役に立つために出来ること
時代が変化しても、我々のこの使命は変わりません。
私は何か特別な対応をするのではなく、当たり前の事をしっかり
やることが、お客様のお役に立つことにつながるのではないかと
考えています。
ただし、お役に立つために出来ることは日々変化しています。
我々はその変化する「当たり前のこと」を的確に捉え、お客様の
ご要望にお応えしています。
私は同時にご縁を育むことも大切にしています。
日本のモノづくりの活性化につながる、世代間・分野間を超えた
交流は今後ますます重要になってくると思います。
「技術をあわせて」「想いをつなげる」
松山工業株式会社は、これからもお客様のお役に立つため、この
ふたつの側面を大切にしてゆきたいと思っています。
松山工業株式会社
代表取締役社長 鵜久森洋生
沿革
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1941年 3月 鵜久森巧が東京都中央区湊町に松山商会を創業
1947年 5月 東京都中央区宝町に資本金100万円で松山工業株式会社を設立
1977年 5月 台湾出資者と共に台湾松山股份有限公司を設立
(1989年広東省中山市、1998年江蘇省蘇州市にて公司設立)
*現在は国内のモノづくりに特化しています
1982年12月 鵜久森憲が代表取締役社長に就任
1989年 4月 本社を東京都世田谷区玉川台に移転
2010年12月 鵜久森洋生が代表取締役社長に就任
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これまでの
松山工業
70年の歴史と共に育まれた熱き想い
松山工業の歴史は、モノづくりに対する熱き想いと共にあります。

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創業期
(1940~50年代)
創業者 鵜久森 巧が、戦後まもなく兄弟で愛媛県松山市から上京。
日用品向けゴム製品を扱う会社として、松山商会を立ち上げたのは1941年のこと。その6年後の1947年5月26日、東京都中央区宝町で松山工業株式会社は設立されました。
戦後の復興が本格的に始まる中、リヤカーにゴム製品を積みながら、お客様を訪問するスタイルで始まった弊社の歴史。少しずつ、そして着実に会社の基盤を固めていきました。
時代の変化に臨機応変に対応する姿勢
社会全体が徐々に未来に向けて動けるようになりつつある中、弊社は徐々に工業用途、特に電子
機器関連のゴム製品を扱うようになっていきました。
弊社の同時期に創業した大手電子機器メーカーが急速に成長をする中、弊社の収益の柱も大きく
変化していきました。高度経済成長期突入前の日本、成長分野の変化が激しい時代。松山工業はその変化に臨機応変に対応してゆきました。すべては「お客様のお役に立つために出来ること」を
考えた結果です。
【主な出来事】
1941年 愛媛県松山市から上京した創業者 鵜久森 巧が、松山商会を立ち上げ
1947年 東京都中央区宝町に松山工業株式会社を設立(資本金100万円)
当初は日用品向けゴム製品を販売したが、徐々にメーカーとして生産にシフト。同時に電子機器
分野への進出も進めた。
(写真左)生産拠点として立ち上げた江戸川工場
(写真右)創立10周年の記念品に添えられた創業者 鵜久森 巧自筆の礼状。



(1950~70年代前半)
発展期
戦後の高度経済成長期、人々の生活は急速に豊かになりました。
弊社も急速な時代の変化に対応し、ゴム製品に関する様々なご要望にお応え出来るようになりつつありました。そんな時、大手電機メーカーの担当者から相談がありました。
それは、「三種の神器」といわれたテレビ・冷蔵庫・洗濯機のうち、ブラウン管テレビ用のパーツを量産して欲しいという内容でした。
小さな会社の大きな決断
ご相談いただいたのは、ブラウン管テレビに使われる「アノードキャップ」と呼ばれるゴムパーツで
した。フライバックトランスと呼ばれる装置につく高電圧がかかる部品。弊社は、危険性の高さから誰もが生産を躊躇する中、テレビ文化の発展に寄与するため、量産化の決断を下しました。
創業者が何よりも大切にしたのは、この難題に挑戦することが社会貢献につながるのではないか
との想いでした。小さな会社の大きな決断は、「お客様のお役に立つために出来ること」を実践し、「価値をカタチにする」文化の原点となりました。
70年がたった今でも受け継がれる、松山工業の大切な礎でもあります。
【主な出来事】
1960年代 アノードキャップの量産化技術を確立
1970年代 ワイヤーハーネスのアッセンブリーを含めた量産体制の強化
(写真左)創業者 鵜久森 巧(上段左から2人目)と、二代目 鵜久森 憲(下中央)
(写真右)電子機器メーカーの展示会で製品のPRをしている鵜久森 憲(右)
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拡大期
(1970年代後半~2000年代)
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ブラウン管テレビが世界的に普及する中、日本でも一般家庭に浸透し、生活の一部となりました。
大手電機メーカーから相談された、アノードキャップの量産化。
様々な苦労を重ねつつも、松山工業はお客様の要望を実現。1960年代は、国内のほぼのテレビメーカーへの納入が始まります。その後、世界的に増え続ける需要に対応すべく、1977年に台湾進出。80年代以降は、中国に生産拠点を2カ所と拡大期を迎えました。
最盛期には月産200万個を超えて、松山工業の供給するアノードキャップは世界シェアの50~60%を供給していた時期もありました。
爆発の危険性があるからこそ品質にこだわる
一方で、海外進出後に配慮したのは、品質管理の面での一層の充実化。寸法不良や異物の混入など、高電圧がかかり、爆発の危険性がある場所ゆえ、品質にこだわる必要がありました。
松山工業が今でも品質にこだわるのは、当時の取り組みがあるからこそ。品質も「お客様のお役に立つために出来ること」との認識があるからです。
【主な出来事】
1977年 台湾の出資者と共に台湾松山工業份分有限公司を設立
(89年広東省中山市、98年江蘇省蘇州市にて公司設立)
1982年 鵜久森 憲が代表取締役社長(現・相談役)に就任
1989年 本社が東京都世田谷区玉川台に移転
(写真左)台湾松山工業設立時に実施されたミーティング
(写真右)アノードキャップ最盛期の検査工程
松山工業
これからの
松山工業の原点に立ち戻り、何が必要かを考えた結果、その答えは「人と人とのご縁」だと気付きました。
原点を見つめ、人と人とのご縁を大切にしています
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シリコーンさんを、ポリカーボネイトで真空引きしてみました。
(シリコーンさんは、シリコーンをウォータージェット加工したものです)
原点に立ち戻り、何が必要かを考える
液晶テレビの登場により、アノードキャップの生産は国内外ともに減少。
一時期は、液晶テレビ用ゴム成形品などを中心に、中国展開を続けましたが、コスト競争力だけが問われる状況に危惧し、2005年ごろを境に海外展開を止め、国内展開の強化へと方向の転換を図りました。同時に松山工業にとって大切なことは何かを考えた結果、原点である「お客様のお役に立つために出来ること」だと気付きました。以降、お客様のお役に立つために出来ることは何かを、社員全員が考えて・行動しています。
ご縁を大切にするからこそ生まれる新たな価値
いま、松山工業は「ご縁」を大切にしています。人と人のご縁が繋がるからこそ、新たなアイデアと
新たな価値が生まれます。テクノロジーが急速かつ高度に進化する時代にあっても、進化の過程に必要なのは、繊細なニュアンスが伝わるコミュニケーションです。弊社は今、皆様の「技術を合わせて」「想いをつなげる」活動によって、新たな価値を生み出しています。
「そんなの無理だから」という従来のやり方に固執せず、皆様と共に何が大切なのかを考えるからこそ、結果につながります
松山工業の新たな取り組みの一例
素材メーカーとの協力体制がしっかりしているからこそ、新たな可能性をしっかりサポート出来ます
タッチエンス株式会社「ショッカクチップ」
世界最小のMEMS触覚センサー。弊社は東京大学で研究開発段階から素材提供を開始。タッチエンス株式会社での
試作・量産化フェーズでは原材料メーカー協力のもと、6軸センサーに使用する素材開発の面で協力しています。
(現在、ロボティクスやヘルスケア分野を中心に製品化コーディネートも含めた対応も始めております。)

新たに創る
作りたい・試したいのは今。だからこそ、身近にリサイクル素材があれば可能性が広がります。
DMM.make AKIBA リサイクルマテリアル供給スポット
注目のスタートアップ企業が数多く入居しているDMM.make AKIBA。松山工業はSTUDIO(工房エリア)脇に素材の
リサイクルスポットを設置。定期的にリサイクル素材を供給しています。
(現在、Sony-CreativeLounge、コミチカ、富士通PLYなどにも定期供給中です。)
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可能性が
ひろがる
楽しい時間と共に人と人とのご縁がつながるからこそ、そこには新たな発想と意外性、そして可能性が生まれます。
国際ロボット展2017 ロボット体験企画コーナー企画運営

東京ビッグサイトで開催された同展示会にて、主催者の日刊工業新聞社から無償で560㎡のスペースを貸していただき
特別企画を開催。ご縁がある90人以上の方々にご協力いただき、1日で来場者約1万人、動画配信サービス視聴者約4.2万人の動員を記録しました。
人と人が
つながる
*国際ロボット展公式サイトについては、今年12月に開催予定の2019年のものが表示されます。こちらの2017年のアーカイブをご参照下さい。
創業当時から続く「価値をカタチにする」文化が根付いているからこそ、新たな挑戦を続けています
3Dプリンターなどの登場により、モノづくりの環境はが大きく変わりました。プロトタイピングも容易になり、製品の開発に必要な時間は大幅に短縮されつつあります。その一方で、素材や加工方法の面も進化を続けており、そういった情報のキャッチアップも必要な時代となりました。松山工業は時代の変化を的確にとらえ、お客様のご要望にお応えし「価値をカタチにする」企業であり続けたいと考えております。